ありがとうと伝えたくて
こちらでは お知らせしていませんでしたが、
3月21日、ばあちゃんが 亡くなりました。
たまたま、実家に帰省中で
死亡宣告には 立ち会うことができました。
大好きな人が、胸がぺタンコになるほど
心臓マッサージされている姿は、かなりつらいものでした。
実は、最初の死亡宣告の後、
数分だけ 心臓の動きが 戻りました。
最初の死亡宣告の時、姉は間に合いませんでしたが
2度目の死亡宣告の時は、姉も間に合いました。
まるで 姉のために 心臓が動いたようでした。
トイレの神様の歌の中で、
会いに行った次の日に おばあちゃんが亡くなりますが
まるで それを地で行く展開でした。
棺に入れる前に、亡くなった人をお風呂に入れて
きれいにして旅立ってもらう湯灌(ゆかん)を
お願いしました。
お願いした葬儀社さんは
家族も一緒にできるとのことで
家族みんなで 湯灌しました。
もともと、ふくよかな ばあちゃんでしたが
もう、骨と皮になるほど 痩せていました。
命をつなげるために先生たちが頑張ってくれた
心臓マッサージの後も残っていました。
・・・どれも 生きた証やね。。。ばあちゃん。
もう亡くなっているのだけど、
湯灌、とても 気持ち良さそうでした。
旅立ちの装束姿も 一緒にさせてもらいました。
その後遺影が出来上がり、
・・・・・・自分たちで選んで
服やなんやを合成してもらったとはいえ、
・・・・・あまりの出来に
ばあちゃんそのまますぎる。。。
と、涙をぼろぼろこぼしました。
地味なことがきらいなひとだったので
祭壇は明るめの花をたくさん入れてもらいました。
作っているのを何気なく見ていたら・・・・
・・・・・(・_・;)
あれ???
親戚(はとこ)のYちゃんに よく似た人が・・・
と思ってたら やっぱりYちゃんでした。
Yちゃんも、名前見て もしかしたら。。。と思ったけど
やっぱり。。。だったようです。
その前日まで2日間連休していたらしく
もし、うちの通夜が21日にしていたら
担当することは なかったようで。。。
これも 故人の作った縁というやつかもしれません。。
親戚も認めるほど
私が一番かわいがられていました。
しっかり 通夜葬儀は務めなくてはと思いました。
父親にお願いし、通夜での親族挨拶をさせてもらいました。
これは 祖母が亡くなるよりずっと前から
ばあちゃんが 死んだら、
私の言葉で 送りたいと思っていました。
なぜだか 自然とその方向で話がうまく決まり
とても 嬉しく思いました。
前半の文章と後半の文章の間に
自分の思いを入れさせてもらいました。
「祖母は厳しい中にも、愛情の深い人でした。
祖母は私たち家族の 宝であり、光でした。
祖母の亡くなった3月21日は 私の誕生日でした。
来年も再来年も私の誕生日がくるたび
家族は 祖母のことを思い出すと思います。
家族が思いだせるよう、この日を祖母が選んでくれたように思います。
これからも誕生日がくるたび 祖母と一緒に
生き続けていきたいと思います」
・・・確かこんなことを言った気がします。
気丈に2日間を過ごしたけれど・・・
やっぱり 最後に棺に花を入れるときは
大泣きしてしまいました。
火葬されたばあちゃんは 本当に小さかった・・。
お坊さんの修業をしたばあちゃんは、
得度の証書と、袈裟を着て 旅立って行きました。
思い出は またぽつりぽつりと 書いていくことにします。。。
ばあちゃんの作った おむすび。。。また食べたかったな・・。
もう食べれなくなっちゃったな。。。
もう、私には じいちゃんもばあちゃんもいなくなってしまいました。
長生きしてくれてありがとうと思う気持ちと
もっと 長生きしてほしかった。そんな気持ちでいっぱいです。
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