2008年03月10日
今日は・・・・・。
今日は東京大空襲のあった日。
ダンナのおばあちゃんが東京大空襲にあった日。
おばあちゃんにとって右に曲がるか 左に曲がるかで命が別れた日。
おばあちゃんは 助かった。
でも 反対側だったら 亡くなっていた。
それは ダンナが この世に存在しなかったということ。
火の海を 逃げた。
たくさんの 焼け焦げた 遺体をみたおばあちゃん。。。
語り継がなければならない。でも、思い出すのもつらい。
その狭間で今も苦しんでいるおばあちゃん。
・・・・それが戦争。
ダンナのおばあちゃんが東京大空襲にあった日。
おばあちゃんにとって右に曲がるか 左に曲がるかで命が別れた日。
おばあちゃんは 助かった。
でも 反対側だったら 亡くなっていた。
それは ダンナが この世に存在しなかったということ。
火の海を 逃げた。
たくさんの 焼け焦げた 遺体をみたおばあちゃん。。。
語り継がなければならない。でも、思い出すのもつらい。
その狭間で今も苦しんでいるおばあちゃん。
・・・・それが戦争。
2007年08月26日
三船美佳ちゃん
前々から スキだなぁ・・って思っていました。
いつも ニコニコしていて。
素直に感動して。
性格のよさが ばんばん伝わってくる感じが 大好き。
彼女が父の存在を乗り越えるのって
本当に大変だったと思うんだけど、
でも やっぱり 笑顔で。
ずっと そう思っていました。
今日、スーパーで、三船美佳ちゃんが寄稿している雑誌をみました。
PHPという本です。 結構有名だから 知ってる人も多いと思います。
その本の中で、美佳ちゃんがいっていること。
「大変」という言葉を 意識して使わないようにしました。
仕事に主婦業にと、忙しくなればなるほど
「大変」なことはたくさんあります。でもせっかく
「いいようにしかならない」って思おうとしているのに
「大変」という言葉を使ってしまうと、また逆戻りしてしまう。
だから、たとえどんな状況であったとしても、プラスの
言葉を使おう。
。。。。。すげぇよ。
尊敬するよ (´ДÅ)シクシク
私も、つい使ってる気がします。反省。 ヾ(;ΦωΦAアセアセ
まぁ、あまり気負いせず、
美佳ちゃんを見習って がんばってみようと思う 今日この頃です!
いつも ニコニコしていて。
素直に感動して。
性格のよさが ばんばん伝わってくる感じが 大好き。
彼女が父の存在を乗り越えるのって
本当に大変だったと思うんだけど、
でも やっぱり 笑顔で。
ずっと そう思っていました。
今日、スーパーで、三船美佳ちゃんが寄稿している雑誌をみました。
PHPという本です。 結構有名だから 知ってる人も多いと思います。
その本の中で、美佳ちゃんがいっていること。
「大変」という言葉を 意識して使わないようにしました。
仕事に主婦業にと、忙しくなればなるほど
「大変」なことはたくさんあります。でもせっかく
「いいようにしかならない」って思おうとしているのに
「大変」という言葉を使ってしまうと、また逆戻りしてしまう。
だから、たとえどんな状況であったとしても、プラスの
言葉を使おう。
。。。。。すげぇよ。
尊敬するよ (´ДÅ)シクシク
私も、つい使ってる気がします。反省。 ヾ(;ΦωΦAアセアセ
まぁ、あまり気負いせず、
美佳ちゃんを見習って がんばってみようと思う 今日この頃です!
2007年08月15日
戦争の終わった日
本当キャンプ編の予定でしたが、
やっぱり、今日は 戦争について書くべきだと思いますので、
キャンプは また次回書きます。
2年前にも、戦争についての日記を書きました。
http://john.ti-da.net/e462719.html
内容も似てくるかもしれませんが、今年も書きます。
2年前にも、書きましたが、
私の母方の祖父は、長崎で被爆しています。
母の実家は島原半島にありますが、
長崎市で何かあったらしいと、
親族を心配し、祖父は翌日長崎市入りをしたそうです。
その後、伯父(一昨年他界)と母が生まれました。
母は7人きょうだいで、
伯父と祖母(2人は2週間違いで他界)の法事の時、
長男と次男の伯父が原爆のことについて
少し話してくれました。
次男の伯父はなんとなくしか、覚えていないそうですが、
被爆地から かなり距離のある、母の実家でも、
なんだ??と思っていたら 何かにしがみついていなければ
ならないほど突風が吹いたそうです
祖父は母が15歳のときに53~4歳で他界していますので、
話を聞くことができませんが、
祖父の見た、被爆翌日の長崎は どのような光景だったのでしょうか。
黒焦げの死体が、転がり、集められ
やけどをした人たちがうめいている。。。。。
そんな光景だったのではないでしょうか。
そして、黒い雨が降り、
それにより、祖父は被爆したのだと思います。
被爆手帳も持っていたと聞いています。
あの日、小倉が晴れていれば、
私はこの世に生まれることはありませんでした。
投下されたであろう場所から、父の実家まではあまり距離がありません。
爆弾を作っていた場所もあまり遠くありませんでしたし、
昔、爆弾を作ってた、なんていう人にあったこともあります。
同じようなころ、
ダンナの祖母は 東京で、『東京大空襲』にあっています。
右と左、どちらに逃げるか迷い、逃げたそうですが、
祖母の逃げたほうと逆は 道を挟んで、その後
火の海になったそうです。
↑にも書きましたが、その後の焼け野原には
黒く焼け焦げた死体が無数にあり、
ものすごい光景だったそうです。
この夏、祖母から、その話を詳しく聞く約束をしました。
しかし、その後、墓場まで持っていきたい、と断られてしました。
思い出すのもつらい 現状がそこにはあったと思います。
いつか 話してくれるのを 待ちたいと思います。
【追記】
今年になって、(被爆地である)広島(にすんでいたこと)が気持ち悪くないのか?という会話を聞く事がありました。
すごくむかっときて、「私の祖父は被爆していますが!」と、会話に割り込んで言いました。
その後、その発言をした人は黙り込みましたが、自分が同じ立場だったらどうなのでしょうか?
軽率だったとか、そういうことでは済まされないと思います。
逆に言うと、それだけ、偏見が残っているということでもあります。
悲しいです。
やっぱり、今日は 戦争について書くべきだと思いますので、
キャンプは また次回書きます。
2年前にも、戦争についての日記を書きました。
http://john.ti-da.net/e462719.html
内容も似てくるかもしれませんが、今年も書きます。
2年前にも、書きましたが、
私の母方の祖父は、長崎で被爆しています。
母の実家は島原半島にありますが、
長崎市で何かあったらしいと、
親族を心配し、祖父は翌日長崎市入りをしたそうです。
その後、伯父(一昨年他界)と母が生まれました。
母は7人きょうだいで、
伯父と祖母(2人は2週間違いで他界)の法事の時、
長男と次男の伯父が原爆のことについて
少し話してくれました。
次男の伯父はなんとなくしか、覚えていないそうですが、
被爆地から かなり距離のある、母の実家でも、
なんだ??と思っていたら 何かにしがみついていなければ
ならないほど突風が吹いたそうです
祖父は母が15歳のときに53~4歳で他界していますので、
話を聞くことができませんが、
祖父の見た、被爆翌日の長崎は どのような光景だったのでしょうか。
黒焦げの死体が、転がり、集められ
やけどをした人たちがうめいている。。。。。
そんな光景だったのではないでしょうか。
そして、黒い雨が降り、
それにより、祖父は被爆したのだと思います。
被爆手帳も持っていたと聞いています。
あの日、小倉が晴れていれば、
私はこの世に生まれることはありませんでした。
投下されたであろう場所から、父の実家まではあまり距離がありません。
爆弾を作っていた場所もあまり遠くありませんでしたし、
昔、爆弾を作ってた、なんていう人にあったこともあります。
同じようなころ、
ダンナの祖母は 東京で、『東京大空襲』にあっています。
右と左、どちらに逃げるか迷い、逃げたそうですが、
祖母の逃げたほうと逆は 道を挟んで、その後
火の海になったそうです。
↑にも書きましたが、その後の焼け野原には
黒く焼け焦げた死体が無数にあり、
ものすごい光景だったそうです。
この夏、祖母から、その話を詳しく聞く約束をしました。
しかし、その後、墓場まで持っていきたい、と断られてしました。
思い出すのもつらい 現状がそこにはあったと思います。
いつか 話してくれるのを 待ちたいと思います。
【追記】
今年になって、(被爆地である)広島(にすんでいたこと)が気持ち悪くないのか?という会話を聞く事がありました。
すごくむかっときて、「私の祖父は被爆していますが!」と、会話に割り込んで言いました。
その後、その発言をした人は黙り込みましたが、自分が同じ立場だったらどうなのでしょうか?
軽率だったとか、そういうことでは済まされないと思います。
逆に言うと、それだけ、偏見が残っているということでもあります。
悲しいです。




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